memo_180sx’s diary

ちょっとだけ変わった普通の人生

いつもの気持ち

いつもどこか上の方から自分を見ている気がする。

仕事は客観的な視点を持ってできないのに

それ以外の時はどこかにいる。

楽しい時も、辛い時もそれを上から見ている。

この人は楽しそうだ、つらそうだと感じる。

みんな、人生が本当にあるものなのか?という疑問を持ったことはあると思う。

俺はまだ、実在の人生だと信じられてない気がする。(そんなことを言ってる時点で信じているのかもしれないけど)

「よくわからないから早く死にたい」と思う気持ちと「死にたくない」と思う気持ちを両方持ってる。

上から見ていると、意味がわからない行動をしているな。やめた方がいいのに。と思いながらも何もできない。

衝動的に考えたり動いたりするのを、ただ上から見てる。

今も投稿を書いている自分を上から見てる。

(最近はないけど)ぼうっとしてやらかすことも、危険な目にあうこともある。

上から見てるから?と思うけど

まあいい。

最近は結婚してこの人は幸せそうだなーと思いながら見てる。

これがいつまでも続くといいね。

俺はきっと、このままいつか急に人生が終わるのを上から見てると思います。

大学生活

彼は上京しました。

しばらくは高校の友達と過ごしました。

高田馬場へ行き、大学生が酔って乱れる姿を見ました。

男女の距離が近く、汚いと思いました。

サークルに入る気が失せたので1人で絵を描こうと思っていましたが、高校の友人に「大学生活終わるよ」と言われて同じところに入りました。

 

全員が気を失うまで酒を飲むサークルでした。

 

週一ほど飲み会に行きながら、絵を描きました。

学校へは行きませんでした。

高校の先輩とも遊びましたが、酔った先輩は福沢諭吉の像に自分の象を押し当てていました。

 

そんな静と動の生活を続けて、学校へ行かなくなりました。

夏、落ちた単位を見て惨めな自分に気付きました。

だらし無い生活を変えようと、飲み会は辞めて学校に行き始めました。

 

2016年秋。

彼には高2から好きな2つ上の先輩がいました。

福岡の人だったのでもう縁は無くなっていたと思ったら、彼女の大学ミスコンアカウントからフォローされました。

彼は喜んで連絡をとりました。

一目も憚らずSNSで応援しました。

そういうプライベートな感情をSNSに載せるのは浅ましいことだと思っていましたが、なりふり構いませんでした。

2016年春、直接会いに行き告白しました。

弟にしか見えないと断られました。

しかしその後10回ほどアタックすると、相手が折れ、付き合うことができました。

こうして遠距離が始まりました。

福岡に多く帰るため、稼げる夜勤のバイトを始めました。

学校とバイト先を往復する毎日。

時々福岡に帰る。

大学2年時はそれ以外のことをやっていません。

しかし、彼女からは連日、人格否定と別れの申し出を受けていました。

今まで関わってきた人、生活を全て喋らされ、一つ一つ否定されました。

友人との繋がりも切らざるを得ませんでした。

彼女はお堅い人でした。

(交際のはるか前に)チャットで異性の友人と与太話をしていたというだけでも、許されないことでした。

付き合った人が多いとか、2.3日付き合ってすぐ別れたとか、そういうことだけを言われるなら分かりますが、あまりにも審査が厳しく、毎日続くのでノイローゼになっていました。

付き合っていた2年間、尊敬していたのは変わらなかったので

真似して真面目に生活してみたり

彼女にイイトコ見せようとアナウンサー試験を受けてみたり

ノイローゼなりに頑張っていましたが、ちょうど2年がたった大4の春、いつもの否定メールを受け取ると、強い自死衝動が襲ってきました。

このままでは自分が自分でいられなくなってしまうと思いました。

「あなたみたいな人とは合わない、別れよう」と言ういつものメールに、初めて「わかりました」と返しました。

まさか同意されるとは思っていなかった彼女は、取り乱します。

彼は連絡を断ちました。

彼女はすでに働いていましたが、精神の不調で入院したそうです。

毎日、彼女の母親から連絡が来ました。

正直迷惑でしたが、責任も感じていたので数ヶ月やり取りしました。

しかし、これも辛くなってやめました。

2年ぶりの平穏が訪れました。

それからの大学生活は、好きな友達と好きなバイトをして楽しく過ごせました。

また、短いけど1人、他の人とも付き合いました。

久々に強く迫られ、追いかけられるのもいいかもしれないと受け入れましたが、好きにはなれずどうしたものかと思っていました。

過去に彼女が水商売をしていたことを知りました。

今もしていました。

汚いと思い、吐きました。

きっとそういうのが恐ろしく嫌いな性質なのでしょう。

すぐに別れました。

かなりひどいことも言いましたが、後悔はしていません。

自分の人生に関わらないでくれと思います。

過去であっても、人は変わりません。

そんな人と一緒にはいられません。

そんな感じで彼は大学生活を終えました。

最後の数ヵ月、友人と好きに活動できたので楽しかったそうです。

就職は福岡で決まっていました。

帰郷の日、新幹線のホームに見送りにきてくれた友人を見て、寂しい気持ちで福岡に帰りました。

 

東京を出る時に、寂しい気持ちになれてよかった。

一度目の上京

2015年9月。

行事が終わり、学校は一気に勉強モードに。

真面目にテストを受けたことがなかった少年は、校外模試を受けてみました。

「賢い学校だから下の方なだけで、よそでは普通だろう。」甘い気持ちでした。

半分の科目が終わったところで、何一つわからないことに悲しくなります。

彼は逃げ出し、公園でブランコを漕ぎながら少し泣きました。

当然、数日後に返された成績表には信じられない悪点がずらり。

これからどうすれば良いかわからなくなりました。

力もない、目標もない、時間もない。途方に暮れて数日が過ぎました。

そんな時、彼の大好きな先輩が関東から帰ってきました。

人気者で、格好いい先輩。

遊んでるように見えて、いい学校に行った先輩。

そんな人が自分を気にかけ仲良くしてくれるのは嬉しいことでした。

肌寒い夜の公園でだべっていると、先輩が言いました。

 

「あまり深く考えず、俺と遊びに東京へおいで」

 

少年は関東へ行くことを決めました。

そこからの動きは早かった。

次の日には賢い級友の使っているテキストを一覧にして本屋へ。

しゃばとの別れと銘打ち、同じ位馬鹿な友人と焼き鳥屋で決起の会。

その翌日から、ほぼ寝ずに知識を詰め込む日々が始まりました。

中学を出て以来何も入れてない、スカスカの頭に雪崩れ込む知識。

処理に苦しみ、毎日間に合わないと思いながら、寝不足で朦朧としながら、手を動かしました。

学校に行った日も、人と話す時間は10分。残りは机と向きあっていました。

半数以上が浪人する学校であったため、正直浪人してもいいという気持ちがありました。

しかし、普段全校生徒に偉そうな講釈を垂れていた手前、結果を見せないと後輩達に幻滅されてしまいます。

最後まで格好いい先輩でいるため、東京で待つ先輩の期待に応えるために頑張りました。

冬は容赦なく来て、試験はやってきます。

お年玉から受験料を貰い、母に交通費を貰い、何とか整えた受験の舞台。

寝不足と緊張でふわふわした気持ちで横浜の試験会場へ向かいました。

場に飲まれそうにはなりましたが、努力が運を呼び、ほぼ知っている問題しか出ませんでした。

落ち着いて試験を終えて帰路につきました。

結果は合格。

合否発表を待っていてくれた先輩に、すぐに連絡しました。

先輩に一緒に喜んでもらえたこと、メンツを保てたことに彼はとても喜びました。

私大・遠方という家のルールを犯していたため、受験は父に秘密でした。

恐る恐る報告して頭を下げると、なんだかんだで父は東京へ出ることを許可しました。

こうして、1人の馬鹿が東京に放たれました。

伝聞自伝①

生まれる

福岡県北九州市で1人の男の子が生まれました。

銀行員と専業主婦の間に生まれた小さめなその子は、とても可愛がられました。

(彼は父の転勤で一瞬北九州に住んでいた時に生まれました。 しかし彼はそこを恥ずかしい場所だと思っているので、未だに「福岡市で生まれた」と嘘をついています。)

母はこの頃とても苦労したと言います。

夜泣きが酷く、夜なべして子をあやす母の腕は、ボディビルダーのようになったそうです。

初めての子どもに大喜びの父は、ウルトラマンの人形やミニカーなど、欲しいものをたくさん買い与えました。

いつもミキ・ハウスの服を着て、長髪でお坊ちゃんのような格好をしていました。

父母の愛を一身に受けたその子は少し大きくなりました。

久留米に移り住み、幼稚園に入園。公文にも通い始めました。

父がいずれ格闘技を習わせることを決めていたため、交換条件として母が提案したそうです。

パズルやひらがなの練習はとても楽しいものでした。

これが、彼がはっきりと覚えている最古の記憶です。

さて、この頃父が初の浮気をしたようです。 ショックで母の髪が抜けました。 さめざめと泣く母の背中、風呂の排水溝に流れる母の髪、ウィッグを買いに行ったデパートの駐車場。 なぜだかとても印象に残りました。

 

そんな母の悲運をよそ目に、体が弱かった彼は、喘息や熱でよく母に迷惑をかけました。 苦しいとすぐ泣くので、母も困り果てていたそうです。

そんな息子にも苦しめられながら、母は浮気相手を特定し追い詰めました。強い人です。

浮気はありましたが、母は父を信じることを選びました。

 

福岡市に引越し

年中さんになった彼は、父の転勤で初めて福岡市に越しました。

西新。彼がその後もずっと関わっていく土地です。 父の母校が近くにあり、父は「たくさん勉強しないと入れないぞ」と自慢していました。 自分もそこに行こう。彼は強く誓いました。

新しい幼稚園はとても厳しい場所でした。 九九や漢詩を覚えさせられ、体育ではよく叩かれました。 幼稚園に行きたくないと泣いて、また母を困らせていました。

この頃、母は弟を生みました。特に何が変わるということはありませんでしたが、家に1人小さいのが増えたなと感じていました。

彼は小学生になりました。